日本租界
上海の日本人街散策は最終回です。虹口の中心にある花街の老舗・六三亭 1898年蕎麦屋・六三庵を文監師路に開業したのが始まり 現・塘沽路346 店名は創業者の長崎出身 白石六三郎さんの名にちなむ ここで錚々たる歴史人物の接待宴会が行われ激動の歴史が動い…
最多期で十万人に達した上海日本人街 虹口租界のことをたくさん調べ歩いて、友達もいっぱいできましたが、再開発の立ち退きで知り合いも減り寂しくなりました。私が頻繁に訪れたのは魔都の歴史がつまった提籃橋 戦中に日本租界無国籍難民限定地区(上海ゲッ…
上海慕情・乍浦路 かつて日本人街があり日本租界と呼ばれた地、先人の足跡が残るこの路が銀幕のいち場面を飾り、一昨年公開されたチャン・ツィイー主演の映画『醤園弄』(醤園弄とは醤油醸造所の意味)のロケ地となる。勝利電影院(旧・ウヰルス劇場 日本占…
上海虹口・四川北路は私のホームグランド・帰ってきました!この地区は戦時中に共同租界があり(通称・日本人租界)最多で十万人の日本人が住んでいました。道しるべにはその歴史を物語る、日本人の歩みを象徴する虹口公園(魯迅公園)があり、1930年代魯迅…
上海歴史ガイドマップ ずいぶんとボロボロになっちゃった・・・ この本が 租界の歴史地図を知り 散策の道しるべになりました。 日本人街 所縁の場所を訪ね歩き 家にいれてもらえたときは感動したなぁ~。 おかげで 虹口には たくさん好朋友ができました。 本…
ただいま租界! お久しぶりです。 日本人租界と呼ばれたホンキュウ・虹口の古今 いま住む人たちとの ふれあいブログ さっそくみんなに会いに行こう! 虹口 四川北路公園 あ!もう顔見知り お友達に出会った お元気でよかった~ 懐かしさと嬉しさで 心が躍り…
三十年代上海 波乱に満ちながらも人々を魅了しつづける 当時上海は列強が置いた治外法権の華やかなりし租界 不平等が台頭し 善悪 貧富が渦巻き、ゼネストや権力に対する武装蜂起も続いていた 激動の予感 不穏な空気が漂う1927年・・ 10月3日 魯迅と許広平夫…
ありし日の上海 華やかなりし頃 有名ゲストが滞在したといわれる 旧大和ホテル 築1928年 現建物名は太安里 四川北路駅裏・衡水路 日本人街だったホンキュウ(虹口)の旅館街に一際 美しい洋館ホテル 淡谷のり子 岡晴夫 渡辺はま子 服部良一など錚々たる大物…
秘境 上海情報は今回で200回目を迎えることができました! いつも応援してくださるみなさんに心から感謝申し上げます。 今回はプラタナスの並木が美しい 地下鉄十二号線の隆昌路から 租界の雰囲気が色濃く残る 私の大好きな楊樹浦 笑顔のお届けです。 楊樹浦…
ただいま! ブロードウェイマンション 租界時代の代表する建物 略してブルマン 激動を歩んだ歴史の重み 見上げると 上海に戻ってきた実感がひしひしと湧いてきます。 孤高のブロマン どんな建築物にも負けない異彩を放っています。 半月も空けると 魔都の様…
上海は だれもが手にとるように 近代史にふれられる 1904年創業の萬歳館 芥川龍之介や佐藤春夫 朝日新聞社に務めていた 尾崎秀実が一時部屋を借り執筆活動をしていた、錚々たる人達が刻んだ歴史 今住んでいる人 可愛い子犬も 当時の租界の家の住民です。 時…
四川北路街道計画 建物を移動する。大掛かりな作業が始まりました。 大和ホテル 1928年開業の満鉄が経営していたホテル 海南路84号 歴史建造物を生かして開発をする 歴史を繋ぐプロジェクトです 変わりゆく租界の跡地 いまの四川北路 乍浦路界隈の様子を紹介…
四川北路を北につきあたると 魯迅公園(虹口公園)見えてきます。 租界時代は新公園と呼ばれ日本人に親しまれていました。 いまも変わりなく市民の憩いの場 芸達者な人が集まり披露して みんなを楽しませています。アコーデオンのおじさんは 私が日本人だと…
山陰路 原名はScott Road(施高塔路)1911年に工部局によって築かれたみち 街路樹が茂り租界時代の面影が残る。一角に一際目を引く住宅があります。 大陸新邨 創建1931年 大陸銀行上海信託部(北四行)が投資し建てた 3階建高級テラス ハウス 赤煉瓦などの…
地下鉄3号線・虹口足球場から いつもの四川北路を歩きます。 虹口サッカー場 3月下旬に大火災が起き 1、2号口は閉鎖されて スタジアムの補修工事が続いています。 魯迅公園 租界時代は新公園と呼ばれて親しまれていた。 四川路底といわれた北のつきあたりに…
かつて日系紡織工場(在華紡)の集中していた楊樹浦地区 地下鉄12号線で隆昌路へ 旧道路名は格欄路 Glen Raod このみちは 当時の日本人社員が住んでいた社宅が数々残っています。 地元で一際有名なのは通称 白林寺と呼ばれる小区で 大日本紡績 大康紗廠(現ユ…
日本人租界と称された虹口 真ん中を流れるクリーク、周辺を散策しました 林京子の小説にも度々、上海で過ごした頃の思い出とクリークが 重なるように描かれています。※現在 防波堤、河川工事中 『どの家もガラス窓を閉めて、静まっている。クリークの向こう…
『上海はそんなに遠くない・・国民学校五、六年生の副読本に掲載されて いた、詩の一節である。終戦の年、十四歳だった私が五十を過ぎている』 戦後三十六年 上海行きのツアーに参加した『とうとう来た、外は上海だ』 鮮烈の記憶をたどった小説 上海 ミッシ…
虹口SOHO・2015年 虹口救火会・1915年 百年の時を越え 租界と今を繋ぐ、 武進路(老靶子路)呉淞路の交差点 上海中部日本人学校 第四日本国民学校 1929年4月創立 拡張される人民病院の一部となるための工事がすすんでいます。 外枠 基礎は当時のものを活用し…
中共記念館に掲げ歴史認定されていた 麦拿里マグノリア・テレス41号室へ 番号プレートは外されチョークで33,34と書いてある この奥だ・・ 創造出版部 1928年から、左翼文化運動の中心だったが翌年には 国民政権によって閉鎖された。まだ案内板はありま…
新年も私の大好きな四川北路から。川公路から見る時計台 旧守真堂 1916年創建の教会と校舎 四川北路1598号 広東浸信会旧址 1931年 現・新郷路幼稚園 新郷商務室 新郷路66号 新郷路(旧名・白保羅路 Barchet Road)新郷路という地名は残るが みちは もう見当…
2017年元日 年年有魚 鴻運当頭 下海廟から あけましておめでとうございます! 今年も 歴史のまちを 廻りつづける 租界と未来が交差する (靶子路 現・武進路) 呉淞路の虹口救火会旧跡が見えた まだまだ訪ねていない場所が・・ はじまりの始まり開始! 迷路…
租界のお家 たかしさんの幼少の頃 窓からなにが見えましたか? 魯迅が1933年から晩年過ごした故居がみえました 山陰路大陸新邨 山陰路を通りかかると たかしさんの生家 隣の家が改装工事中でした 作業の人に声をかけて中に入れてもらえたんですよ。 東照里 1…
思い出のホンキュウ 日本商店が軒を連ねていた華やかなり四川北路 租界の面影が残る街道には 日本人居住址が点在しています 赫林里・ヘレン・テラス 現・柳林小区北側 四川北路1831弄 創建百年 戦時中は殆ど日本人が住んでいました。今も外見はしっかりして見…
・・・そこに 李香蘭がいたんだ・・・ 偶然お会いした租界に住んでいた方から 聞きました。 長安里 百年の歴史を刻んでいる 敗戦により日本人居留民は租界内 指定地域に移動するように布告 その中長安里で見かけたそうです。 小区に入ると いまも普通に住民…
このブログで紹介してきた 白石六三郎さん経営だった六三亭 今回は 許可を得て 二階にあがりました。 1900年に建てられた建物 階段もしっかり現役です。 当時 ここに大きな宴会場があった・・・ 面影はありませんが 天井の梁 柱は当時のままだそうです。 い…
国慶節快楽!西本願寺に五星紅旗が(1938年築 租界時代の日本の寺) 昨日は お友達のおじいちゃん家でご飯をご馳走になりました。 遊びに来ていた曾孫さん おばあちゃん嬉しそうだな〜。 親愛的朋友 いつまでも いつまでも お元気で! 本圀寺 手直ししながら…
お久しぶりです!租界巡り再開します。 早速・虹口へ 六三亭に住む 可愛いお友達に会いに行きました。 2016年夏 あの時のまち 語りつくされたオールド上海 堂々たるブロードウェーマンション この夏 対岸から見る勇姿が ひとまわり小さく見えました。 旧・日…
今日もゆくゆく~ 租界を歩く どこからともなく聴こえてきた おじさんが奏でるギター 歌うブルース そしてカードを切るおとが どうせおいらはながれ者 人生賭けた勝負にいきる 酸いも甘いも噛み分けた 男の色気がほとば散る ここは旧日本人街の花街 いまはお…
六三花園で撮られた一枚の写真 詳細等は不明 中央の中国人を主賓にした集まりなのか 華やかな席のようです。 (詳細がわかる方がおりましたら ご一報ください) 後列左端に写るのが創立者 白石六三郎氏 長崎県出身です。 1898年に蕎麦屋・六三庵(現・塘沽路…