暑中お見舞申し上げます。ご無沙汰しています。皆様お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。私は忙しくも、おかげさまで元気に飛び回っています。先日とんぼ返りですが台湾に行きました。久しぶりにチャイナ・エアライン(中華航空)に乗りました。私が初めて海外に渡ったときに乗った飛行機です。相変わらず行きも帰りも混んで満席でした。
台湾らしい機内食(帰国便です)、すき焼き風ごま塩ご飯、南瓜の煮物。五桐號(WooTEA)とコラボレーションしたchiikawaの紅玉紅茶風味のライススナックの懐かしい甘じょっぱさ、日本大好きな台湾人の優しい味でした。
こんにちは台北 行きは台北市内の松山空港に降り立ちました。
非常熱・・・
移動の車窓から台湾を代表する台北圓山大飯店が見えました。1952年に蒋介石夫人である宋美齡氏が建てた台湾第1号の5つ星ホテル、中国宮殿様式が特徴の優雅な佇まい 前方は基隆河、後方は陽明山、東は松山、西は淡水河を一望できます。
私が台湾で最初に住んだまち・敦化北路 長い海外生活の始まりです。
かけがえのない親友がいて、変わらない街並み・・それが台湾である
天母東路 日本人学校の近くに引っ越し ここでしか得られない体験や学びの時間を過ごしました。
台湾は世界有数の経済成長を遂げましたが なにもかも当時と同じ、馴染のレストラン、愛犬がお世話になった動物病院・・当時にタイムスリップする
オフ時間が少なく足早に通り過ぎ・・日本人学校の友達が住んでいた金園華廈が見えた
龍山寺 1738年に創建された台北最古の寺院 台北に来たら、先ずはここで拝拝する。MRT「龍山寺」の出口1を出てすぐにあります。この辺りは台北市でもかなり古い街で萬華地区と呼ばれていました。
福建省泉州の錦江県、南安県、恵安県の人々が海を渡り藁葺で小屋を作り住み着いた。だがマラリアが蔓延する未開の地で 「三在六亡一回頭」(10人のうち3人が生き残り、6人が死亡、1人は帰郷)と言われるぐらい過酷であった。それを収めるために故郷である福建省晋江県安海郷の龍山寺から観音菩薩を招き安置したのが始まりと言われています。
正面入り口にある龍柱は、1920年代に造られた台湾で唯一の銅鋳龍柱です。
迪化街 台北で最も古い問屋街 19世紀中頃の清朝末期に大陸やアジアの交易から船荷を扱う商店が増えて軒を連ねたのが始まり
乾物や漢方、食材や布問屋さんなど、ここに来ると何でも揃う。迷路のごとく発見があり面白い。旧正月前にはたくさんの人で賑わう。台湾のアメ横という感じである。
ザ・台湾ランチ 定番の台湾小吃 市内をダッシュで駆け巡りお腹ペコペコ2人分 蚵仔煎(牡蠣オムレツ)に魯肉飯(ルーローハン)貢丸湯(団子スープ)
台湾好!束の間でしたが楽しかった、次回はプライベートで来たいな
帰国便は桃園国際空港からです。
以前は蔣介石を記念して中正國際機場と呼ばれていました、チャイナエアラインの機内で「皆様、まもなく蔣介石国際空港に到着致します」、日本語アナウンスでされていたのを鮮明に覚えています。・・そんな時代でした
今回の台湾編はこれで終わりです。・・それではみなさん 乾杯!おつかれ生でした!明日から三連休ですね!暑さに負けず楽しみましょう!
次回は上海から 更新はすこし遅れそうです。