秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

2017-01-01から1年間の記事一覧

たぶん一番!台湾牛肉麺

いつの間にか 十二月の半ば 上海もすっかり冬です。 きのう朝はマイナス気温 うっすらと氷が張っていました。 毎日大体外回り お昼は冷えた体を温める牛肉麺をよく食べます。 今回は寒さに負けない 元気が出る美味しいお店を紹介します。 江太太牛肉麺 人民…

80年前の激戦地へ

・・・最前線 トーチカが見えた・・ 第二次上海事変 1937年勃発から 80年目の激戦地へ 戦記本と資料を照らし合わせて 戦跡を独自で廻っています。 上海郊外に無数に残る戦場跡 前回に続き 松江近郊へ 斜塘滬杭鉄路戊申年引橋遺跡 滬杭鉄路とは上海市から杭州…

公安博物館へ!愛ちゃん人気は続く。

お久しぶりです!札幌に帰郷していました。すっかり雪景色になって 童心にかえり、大通り公園で雪だるまを作りました。可愛い〜かな 先週末に上海に戻りました!銀杏が色づいて綺麗です。 上海に戻ってすぐ食べたくなるものといえば 定番!小楊生煎 焼き小龍…

 愛しのゲイさん 

・・・陝西省に住む親友 げいさんの写真にて・・ 内陸 陝西省 今年も豊作 秋の刈り入れが終わりました。 西北の主な農作物は小麦 トウモロコシ 大粒で保存食にもなります。 農村の子は良くお手伝いをします。農作業が終わり太陽の日差しを 浴びながらお勉強 …

もう勝てない

近くの公園で 少数民族の人たちが踊る それぞれの民族の 美しい衣装に身を包み 舞う 上海に住むシルクロード方面から来た人達が集い楽しんでいる 少数民族と調和のある社会 和諧政策は確実に成果を上げている こんな所にも防犯監視カメラが 犯罪の抑制機能も…

上海・文廟と孔乙己酒家 周辺の様子

今回は井上@打浦橋@上海さんが2005年 12年前に散策された 上海・文廟の賑わいと孔乙己酒家の様子 の足跡を歩いてみました 孔乙己酒家外壁には紹興酒の甕が飾りとして埋め込まれていました。 店前にはお客さんが乗ってきたレンタル自転車が並び ここに写る…

 孔乙己酒家(紹興酒場)虹橋店で蟹食べました。

上海蟹のシーズン 上海に来るお客さんが増える時期でもあります。 今夜は アテントでも有名な孔乙己酒家(紹興酒場)の2号店 虹橋店へ 酸いも甘いも噛み分けた男たちが集まり 美味しい酒や肴に舌鼓 そんな雰囲気のあるよいお店です。虹橋路1480号(×延安西…

 松江戦場のトーチカ群 

上海郊外の農村 日中戦争の戦場へ 上海事変の時 松江の攻防 起点となったクリーク登城作戦前線 上海事変の戦地巡り 情報は少なく 戦記を読んだり ネットで調べたり 地元の人に道を聞きながら ただ趣味で廻っています。 呉淞クリーク 閘北 大場鎮など なかで…

 安徽省に帰ります。

四川北路街道計画 建物を移動する。大掛かりな作業が始まりました。 大和ホテル 1928年開業の満鉄が経営していたホテル 海南路84号 歴史建造物を生かして開発をする 歴史を繋ぐプロジェクトです 変わりゆく租界の跡地 いまの四川北路 乍浦路界隈の様子を紹介…

救撈陳列館からバスで帰ろう!

中国救撈陳列館を紹介します。黄浦江の港がある楊樹浦は 海上交通の要所 海難 災害などの救助活動の展示館です。 場所は楊樹浦1426号 海救大楼内 交通運輸部打撈局 入場料無料 保安さんが部署に連絡してくれ開けてくれました。 エントランスに 大海から救助…

苦力と人力車

地下鉄4号 楊樹浦駅のモチーフは人力車 この街と深い関係があります。 租界時代は繊維産業の街 おじいさんの摩托車的士 通称・摩的で走る 進出した紡績工場の日本人たちが まちをやんじっぽと呼んで親しんでいた 最近まで租界の面影が残っていたが 大規模な…

 花甲録 魯迅と内山完造

四川北路を北につきあたると 魯迅公園(虹口公園)見えてきます。 租界時代は新公園と呼ばれ日本人に親しまれていました。 いまも変わりなく市民の憩いの場 芸達者な人が集まり披露して みんなを楽しませています。アコーデオンのおじさんは 私が日本人だと…

 山陰路 大陸新邨のいま

山陰路 原名はScott Road(施高塔路)1911年に工部局によって築かれたみち 街路樹が茂り租界時代の面影が残る。一角に一際目を引く住宅があります。 大陸新邨 創建1931年 大陸銀行上海信託部(北四行)が投資し建てた 3階建高級テラス ハウス 赤煉瓦などの…

僕らは移民だ!

全米で移民の最も多いロサンゼルス 多様な文化が栄えています。 Olvera Stはメキシコ系移民の街 昔ながらのメキシコの雰囲気を感じる 17世紀後半に集落が作られた最も長い歴史をもつ地域 コミニティの交流も盛んに行われていました。移民の写真展示 民族バン…

LAがきれいなんて誰が言った?

広い砂漠の街 朝は石油採掘のピストン音で目が覚める ダウンタウン近郊は一大石油産出基地 産業を支えています 96の言語が使われているという 多様な民族構成 メトロの拠点となるロサンゼルスのユニオン駅です Little Tokyoの看板がでていますが 聞くところ…

 残暑お見舞い申し上げます。

上海中心大厦118階展望台から 虹口方面を望む 下に見えるは101階建て上海環球金融中心 通称栓抜きビル ・・・残暑お見舞い申し上げます。・・・ 今年の上海は 13日連日の40度越え 記録的な猛暑となりました。 もう限界・・夏バテには美味しいもの食べて 精を…

日本租界のグルメスポット

租界をゆく〜乍浦路から 暑中お見舞い申し上げます。 西本願寺別院 1931年 設計は岡野重久氏 築地本願寺を模した インド風建築は街路樹が茂り日光から守られていました 現在はディスコ 本圀寺 1922年 日蓮宗の寺院 本堂の屋根が健在しています。 歩けば行列…

知ってる?老舗の生煎

生煎饅頭(焼き小龍包)冷えた肉まんを焼いて食べたのが起源だそう 餡を包み作りたてを鉄鍋で焼いて出すようになって100年以上が経つ 生煎は庶民に最も愛される 魔都・上海で生まれた地元の味なのです 老正和 伝統の味を守り続ける老舗 上の写真の生煎饅頭が…

 又・ユダヤ人街

東長治路 ツインタワー 地下鉄12号線提籃橋駅に直結する 大型商業施設が年内完成予定です。 上海犹太ユダヤ難民紀念館 摩西会堂 1933〜1941年にかけナチスの 迫害から逃れたユダヤ人(2万〜3万人)が上海へ。当時この地域に ユダヤ難民が居住し リトルウィー…

美味しいよ精進料理

地下鉄に乗って龍華へ 地下鉄3線使え便利!(+龍漕路三号線) 11号線 都心の徐家匯から駅二つ 二番出口からでました。 周辺は工事の塀で囲まれ、龍華烈士記念館の方向に歩いていくと 龍華西路交差点に龍華花園酒樓 赴きあるなぁ〜此の辺で唯一残る 昔なが…

滬西清真寺〜金曜バザールへ

久しぶりに長寿路の金曜イスラムバザールへ行ってきました。 新疆ウィグル自治区、回族の人達の屋台がでます 以前行ったときよりも 赤いテントがずらりと並びお店が増えています。 益々賑やかに華やかになりました。いい匂い〜烤羊肉 これくれ!これくれ!お…

国民党軍警備司令部の地下へ

地下鉄に乗って龍華にいきました。すぐに龍華塔がみえてきます。 寺や塔の見学前に 逆の盛大花園方向へ 龍華路を歩きました。 地下鉄が2線通り、便利になった龍華鎮 道幅拡張整備 古い町を 解体し新しい街づくり真最中 照り返しが暑かったです。 少し行くと…

すごいぞ!嘉定北

市内から地下鉄で楽々 美しき水郷 嘉定へ行って来ました! 11号線終点嘉定北駅〜市内中心地から約55分 徐家匯駅から18駅 駅周辺 駅ビル建設中 駅前の日月光中心の開店も間近です。 北駅からバスで10分 嘉定中医医院で降り 主要な観光名所を廻ります。 嘉定博…

 今日もゆく四川北路

地下鉄3号線・虹口足球場から いつもの四川北路を歩きます。 虹口サッカー場 3月下旬に大火災が起き 1、2号口は閉鎖されて スタジアムの補修工事が続いています。 魯迅公園 租界時代は新公園と呼ばれて親しまれていた。 四川路底といわれた北のつきあたりに…

 ペンキたれてるよ

次から次と問題が起き 次から次と修理がきて ・・またこわれる たくさん穴あけて やっと蛇口がつきました ・・・水たれてるよ・・・ ・・・ペンキたれてるよ・・・ 日中架け橋 大切な魯迅故居の門だよ きれいに塗ってね! ・・・ペンキたれているよ・・・ ヘ…

 澳門路の見どころ

よじ登りたくなるような岩山付きマンション 長寿路と常徳路交 地下鉄7号線13号線の長寿駅からでると そこは岩壁だった・・ キラッと眩しい商場&マンション 長寿路と西康路 この路の旧名は 労勃生路と小沙渡路といい、交差点には 1926年、租界時代に 建てら…

復興島に行こう!

上海市内から一番近い島 地下鉄12号線に乗って復興島へ 緑溢れる麗しきアイランドへようこそ!歓迎光臨!笑顔で友好的な島の人 復興島公園 地下鉄駅から歩いて五分 新緑が綺麗!深呼吸気持ちいい〜森林浴やウォーキングにぴったり 1949年 国共内戦で蒋介石…

旧日紡社宅とカンフーハッスル

かつて日系紡織工場(在華紡)の集中していた楊樹浦地区 地下鉄12号線で隆昌路へ 旧道路名は格欄路 Glen Raod このみちは 当時の日本人社員が住んでいた社宅が数々残っています。 地元で一際有名なのは通称 白林寺と呼ばれる小区で 大日本紡績 大康紗廠(現ユ…

虹口クリーク

日本人租界と称された虹口 真ん中を流れるクリーク、周辺を散策しました 林京子の小説にも度々、上海で過ごした頃の思い出とクリークが 重なるように描かれています。※現在 防波堤、河川工事中 『どの家もガラス窓を閉めて、静まっている。クリークの向こう…

 上海はそんなに遠くない

『上海はそんなに遠くない・・国民学校五、六年生の副読本に掲載されて いた、詩の一節である。終戦の年、十四歳だった私が五十を過ぎている』 戦後三十六年 上海行きのツアーに参加した『とうとう来た、外は上海だ』 鮮烈の記憶をたどった小説 上海 ミッシ…