秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

そこに李香蘭がいたんだ

・・・そこに 李香蘭がいたんだ・・・

偶然お会いした租界に住んでいた方から 聞きました。

長安 百年の歴史を刻んでいる 敗戦により日本人居留民は租界内
指定地域に移動するように布告 その中長安里で見かけたそうです。

小区に入ると いまも普通に住民が暮らしています。

なぜここにいたのだろう? その経緯を探してみました。
1944年 日本の戦況は悪化の一途を辿っていた。李香蘭満映を退社し
上海へ中華電影に加わり夜来香が大ヒット翌年大光明大戯院でリサイタル
終戦を迎え李香蘭は中国人と思われていたので祖国を裏切った漢奸容疑が

掛けられ軍事裁判の被告になりました。※騰訊娯楽 電影新聞より

その時 軟禁されていたのが興業坊 スコットロード(現・山陰路)
中華電影の代表である川喜多長政 野口久光らとともに比較的自由に
収容されていた。1946年2月12日判決 他方面からの協力で
日本人だと証明がされ 漢奸罪は適用されず国外追放処分となる

中国人の名で欺いてたことを悔い 愚かだったと法廷で謝罪した
同年2月28日 引揚げ船に乗るため川喜多長政氏と黄浦埠頭へ 

乗船直前、出入国検査員に李香蘭だとばれ書類の不備も重なり
足止め、仕方がなく引き返し呉淞路の日の丸旅館に身を寄せた。  

長安里の対面でした。※地図は上海歴史ガイドブックより

当時を知っている人 住民などに色々尋ねて廻りました。そのなかで

影山とおる氏の体験記 上海日僑中学生の終戦日記の中の一文に 
長安里での出来事が書かれていました。彼の父親が山口淑子の実父
山口文雄と交流が深かった 戦後一変した中での再会。ある日 

お父さんが李香蘭をわが家の簡易風呂に入れてあげようと言いだし
彼が迎えに行くと彼女は大喜び、四囲警戒しながら連れてくる
湯に入り生き返ったと感謝した。残り湯を貰いに来た人たちが
楊貴妃の華清池の如く美人湯に入り集中営の苦労を洗い流した。

奇しくも今 その場所にノーリツの湯沸かし器がついていました。
それから 帰国するまでの一ヶ月間 警戒しながらも

度々長安里へ出入りしている。歌姫は籠から抜け出し
はじめて李香蘭ではない時間を過ごした 

3月30日 川喜多氏と共に引揚げ船に乗り帰還の途についた

当時の呉淞路 日本商店が軒を連ねブロードウェイマンションが見えた

現在の呉淞路 高層ビルが軒を連ね 未来都市として変貌しつづける

時代をみつめ 映しつづける美しき上海

あの時 ・・そこに李香蘭がいたんだ

※参考 ・上海日僑中学生の終戦日記 
    ・上海引揚げまでの体験談話 より

美味しい好好栗子 立退きになった好好栗子本店が 

北海寧路に復活だ!

栗 つやつや輝いている! 

おじさんも復活! この冬も沢山食べるぞー!