秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

 山陰路 大陸新邨のいま

山陰路 原名はScott Road(施高塔路)1911年に工部局によって築かれたみち
街路樹が茂り租界時代の面影が残る。一角に一際目を引く住宅があります。

大陸新邨 創建1931年 大陸銀行上海信託部(北四行)が投資し建てた
3階建高級テラス ハウス 赤煉瓦などの建材はヨーロッパから輸入され
当時としては希少なガス、浴室などの 設備も整っていました。

魯迅故居 大陸新邨9号 1936年に亡くなるまで最後の3年半を過ごした家

前庭に面した1階には応接室と食堂、厨房。2階には寝室兼書斎と納戸。
3階は子供部屋と来客の寝室があった。各家の広さ、間取りは殆んど同じ
建物は6列に並び 一棟は10戸 全部で60戸が暮らしています。

当時 たくさんの日本人が住んでいた大陸新邨のいまを知りたい
住民の人に お願いして門を開けてもらいました。

山陰路168弄東3門 31-40号が暮らしています。屋号は当時と変わって
いないそうです。本日 訪ねたかったお家、残念ながら留守でした。

リフォームしている家もありますが 間取りは変わらないようなので
ご近所さんに室内を見せてもらいました。

一階の厨房だった場所 使っていないらしく物置になっていました。

当時の住民が 残していった家具がそのまま放置されています。

二階は キッチンとバストイレがあり改装済みでした。家主さんが
使われている棚や台は 百年位前のものじゃあないかと言われていました。

三階は二部屋 天井が高い居間と寝室、外にバルコニーがあります 

大陸新邨からみる世界 きっと昔も今も同じ・・
木々の向こう道を渡ると義勇軍の宿舎 その向こうに上海神社があった

大陸新邨は格たる著名人も住んでいました。魯迅 茅盾 謝旦如など、 
そして敗戦時 日本の女優 水久保澄子も一時収容されていたそうです。
歴史に翻弄されながらも 多くの文学が生まれ 日中友好を守りつづけた
この建物は優秀歴史建築として 未来へ繋がってゆくことでしょう

・・コメントをくださったりんさん・・ 
終戦までの約9年間を上海で過ごされたご祖母様が
上海の人達はみんな親切だったと話しておられたそうですね。

今も変わらず みんな優しく親切でした。おかげ様で大陸新邨に
たくさんの福縁ができました。ありがとうございました。

・・感謝大陸新村居民!・・

次回も 日本人租界から 懐かしき場所を紹介します。 

美しい山陰路 相変わらず混んでいる万寿斋 たかしさんの旧家
(向って左建物が大陸新邨です。)

又会ったね〜この道には顔見知りの人も多いんです。

いつもうろちょろしてるねって 大笑い・・されちゃいました。

だって 歴史のまちが大好きなんだもん!