上海の秘境 閘北・山西路 租界の外側に面し日本人にはザホクと呼ばれた地。右手の建物は旧・山西大戯院・山西電影院 1930年に開幕式のテープカットをしたのは青帮のドン・杜月笙である。対面の吉慶里小区 老上海の面影がのこる弄堂 中国近代でもっとも優れた芸術家が住んでいました。
偶然・・そのひとに出会ったのは兵庫県立美術館 頴川德助コレクション 梅舒適コレクション 兵庫県に受贈したお披露目する記念展でした。
好久不見!呉昌碩さん そのコレクションの中でも清末・民国の著名な文人 詩・書・画・篆刻に精通した呉昌碩の作品を中心に展示していました。
動乱時代 呉昌碩は波乱万丈の人生を歩み、溢れる才能は晩年も衰えなかった。
世紀の傑作を生み出した芸術家の終の棲家 それが上海・・・租界時代に大量に建てられた伝統的な石庫門の里弄 その一角でした。
呉昌碩 故居 民国2~16年(1913年 大正2年~1927年 昭和2年)晩年ここで描画、制作活動に勤しみました。山西路457弄12号 ※おじさんは吉慶里の住民です中に入ると、また入り口 庶民の生活があり、これといってなにかを保存しているわけではありませんでした
奥にいくと吹き抜けがあり中庭を囲む構造になっています。彼は二階の2楼房を使い書斎兼住居で暮らしていました。
名を轟かせた世紀の天才 日本では呉昌碩画譜 呉昌碩先生画帖 呉昌碩書画譜の刊行、民国11年には大阪高島屋で呉昌碩書画展開催し大反響 特に篆刻の評価が高く日下部鳴鶴・犬養毅なども自用印を注文している印一つで歴史を刻む、世界を動かした偉大なる作品・・でもそんなことより
あれから五年が過ぎ 久しぶりに呉昌碩さんに会えて嬉しかった。
そして・・現代の偉大なる芸術家 コシノヒロコ展 明日まで お見逃しなく!現代をアクティブに生きるデザイナー 宇宙をイメージして浮かんでいた
御年84歳 時空を超えている さすがかっこいい!