秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

ドキュメント横浜路

・・そして だれもいなくなった・・

横浜路周辺 革命家アジトから上海事変では戦場になり、現在は
第三の革命が終わったかのように みな立退き、解体が進んでいます。

景雲里 1925年に建てられた石庫門里弄 この一帯だけが残っていました。

魯迅寓所 35弄17号 後18号に魯迅が住んでいた。また前後して
茅盾、葉聖陶、そして柔石 など左翼文化人もこの敷地内に住む

じつは この里弄は奥深く複雑にいり込み、身を隠すのに最適でした

『 租界の越界築路地区と中国側の華界との境界あたりに位置し双方の
管理の手薄になる地域でもあった 』 歴史ガイドブックより引用

奥にある住宅 二階にあがり 奥のドアを開けると 

また階段があり屋根裏へ抜けられます。

もし、踏み込まれた時  屋根伝いで外界へ逃げられます。

私は隣の大興坊へ出ました。迷路の如く里弄は繋がっているのです。

迫害に怯えながらも夢を語り合い 魯迅は約二年半ここで暮らしました。
この唯一残る 歴史を物語る建造物は今後どうなるのでしょう・・

地下鉄三号明珠線の高架が見える ゆけば宝山路 曲がれば東宝興路

第一次上海事変 1932年(昭和7年)1月28日勃発
東宝興路敵前50メートルの位置にて陣をひく日本海軍陸戦隊

東横浜路にて 建物の解体作業中に 偶然、醤の文字が見つかった
絵葉書の写真 面影が残る この前が陣地だったのか
(のちにすべて解体されました 跡形もなく・・)
 
東宝興路駅 この線路 このクリーク この橋へ 戦火は広がりました。
奇しくも 今日1月18日は第一次上海事変のきっかけとなった

・・・上海日本人僧侶襲撃事件から 85年目です。

いってきまーす! 一足 早いんですが春節のお休みに入ります。

美味しい栗は好好栗子だね! 〜おじさん行って来ます!

元気に戻って来いよ! ありがとう 旧正月明けにね!新年快楽!