秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

にわか解説 仁川チャイナタウン

黄金色に輝く第1牌楼 2000年に山東省威海市から寄贈されたランドマーク 豪華な中華門をくぐると大韓民国政府が唯一公式に認めている仁川チャイナタウン・中華街です。その歴史は1885年に清国専管租界を設立することによって本格的にはじまりました。中華門の前 韓国鉄道公社仁川駅を降りると 中華の世界そのもの仁川華僑社会 華僑人口で割合が多いのは山東省膠東省出身者(青島市に位置する県級市)。海を隔てて、環境や気候も似ているため移住してきた人が多かったそうです。仁川は朝鮮半島の歴史の最前線 日本が敗戦後、仁川のチャイナタウンは経済活動が活発になり活況を極めました。1946年の国共内戦中に逃れてきた人が仁川を目指し来韓、華僑人口が最高潮に達しました皇帝の階段 そして朝鮮戦争が勃発 階段から転げるように波乱の幕開け1950年 12月 1 日の地籍法、1953年まで続いた朝鮮戦争、戦後の外国為替取引と貿易の規制強化 居住資格審査の厳粛化などでチャイナタウンは徐々に寂れていきました。一時は民族的な中国人が殆どいなくなり、中華街としての機能を失いました。更に1971年の外国人の土地取得および管理に関する法律が施行されると、共和春のような大型レストランは外国人土地法(住宅1戸と50坪以下の店舗1戸保有のみ)により閉店せざるおえなくなり、韓国を離れ台湾や米国に移住する者が続出、さらに仁川港の旅客ターミナル移転なども重なり衰退は著しいものでした。 共和春 1911 年に華僑の余錫光氏が 辛亥革命勝利を記念し「共和国元年の春」の意味を込めて店名を付けました。ジャージャー麺(韓国式チャジャンミョン)発祥の店です※写真は新共和春 旧共和春店は炸酱面(ジャージャー麺)博物館になっています。 仁川チャイナタウンの名物 炸醬麵路・チャジャンミョン通りがあるぐらいたくさんの店で食べられます。数あるジャージャー麺のなかで、東宝城が人気みたいで開店前から長い行列ができていました。
また中華苑達人の作る中華はテレビでも放映され評判の高い店だそうです。1992年4月13日、韓国は中国と国交正常化交渉を行うことで合意し、第一世代が作り上げた伝統的な文化は二世三世、そして韓国の若手起業家が引き継ぎチャイナタウンは息を吹き返しました。韓国政府は、2001年に仁川チャイナタウンを観光特区に指定したことで再整備拡張され、中国文化に触れ楽しめる街として復活 家族連れが多く賑をみせていました。ただ不思議なことに仁川チャイナタウンでは中国語が聞こえませんでした。私の下手な中国語も通じませんでした。人口の約三割を占めるキリスト教徒 中華街の中にも教会がありました。さてさて 今回私が食べた店・山東厨房です。山東省移住者が多いということで 大好きな餃子や点心 蒸したて香る店へ ジャージャー麺 タマネギや肉の味噌ダレにカラメルが加わった甘いタレがたっぷり タンスユク(韓国式酢豚)揚げた豚肉に甘酸っぱいタレがかかっています。グルテン祭り どれもこれも美味しい!女子4人大満足・・Excessive calories… 帰りには席を待つお客さんがいっぱいでした。食事が終わり日が暮れ、ランタンに明かりが灯る増してチャイナの雰囲気溢れます。美しき正門の前には 間近に迫る選挙の候補者の垂れ幕が掲げられていました。仁川駅 韓国鉄道の発祥の地 京城(現ソウル)と仁川を結ぶ鉄道として1899年に開通、戦前は日本から大陸に向かう連絡鉄道や朝鮮北部工業地帯への輸送を担いました。駅舎は1960年に建て替えられ 通勤通学の市民の駅として使われています。仁川チャイナタウン あんまり詳しくないのに仁川華僑の歴史をにわか解説しました。う~んかなり勉強不足ですね… 次回は韓国仁川広域市最終編 続きます。