秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

租界に住んでいた方々へ

拝啓たかしさん ブログを訪ねていただいてから二年目になりましたね。

お知り合いの六三亭の創立者 白石六三郎氏の曾孫さん 
そのご縁で訪ねた六三亭を 二年ぶりに訪問致しました。

あの時 パパになった彼に再会。 ご近所の可愛い子供たち
華やかなりし頃の面影はありませんが 確実に息づく

周辺は解体が進行中ですが六三亭は健在です。私は いま
白石六三郎さんの足跡 六三亭の辿った歴史を調べています。

六三亭事件や 清代最後の文人といわれる呉昌碩との交流など
興味深いことが多々あり改めて記載します・・待っていてくださいね・・

大和ホテル 本館 こちらも健在 一時陸戦隊司令部の宿舎になったという

別館楼の建物 当時のものか不明です。現・振華公館 海南路80号

巨大な虹口SOHO 1937年に陸戦隊租界本部が置かれた場所

吉田さん 叔父様が居られた あの場所を何度も散策しています。

山口さん 呉淞路の交差点で偶出会いましたね。
幼少の頃に住んでいた家が解体され跡形も無くて寂しそうでした。

巨大ビルを背に 虹口クリークに向かって一緒に歩きましたね。

「小さい時はクリークが怖くてね、七ノ橋を渡ると便衣隊が潜んでいるってさ」
あの時のクリークには笑顔の優しい人達が 橋の袂で釣りをしていました。

引き揚げ船を待つ間 終戦時 上海に日本居住民が約七万人 南京や漢口
周辺と合流し9月時点で九万五百人に膨れ上がり、集中営といわれる
一定区城内に住むことになる 海倫路の一帯にも溢れるほど

よしえちゃんの曽祖母さん 狄思威路(現・四平路)の瑞康里へ
六畳一間に家族7人で身を寄せ、引揚げ船の順番を待った
敗戦国民となりすべてを失った ・・先人の苦悩を想う・・

1946年まで上海における日本人居移民10万人送還が完了(経由した人も
含めると12万4千人が帰国)虹口の日本人街という名称もなくなった・・

蒋介石が提起した「以徳報怨 徳を以て怨みに報いる」を
実行くれた上海市民に ・・感謝と敬意を表します・・

租界に住んでいた方々へ 地図を片手に地元の人に尋ねながら 
思い出の街を歩いています。情報があれば何でも教えてくださいね! 

毛沢東肖像画が掲げられた 上海人民政府 そして国共内戦後の混乱 

租界後の文化大革命  虹口にも 文革の嵐が吹き荒れた
敗戦の引揚げとその後の文革に拘っています。また彼女にも会うことに・・