秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

四川北路の戦い 六三花園のいま

閘北と四川北路(旧・北四川路) 一本の線路が隔てている 
地下鉄三号線(旧淞滬鉄道)東宝興路駅がみえる

共同租界周辺で起きた日華両軍の衝突地点である

日本人街から 如何に近い場所で戦闘が行なわれていたかわかる
※地図は歴史ガイドブックから 桜印のマンション屋上にて撮影 此処↓

第二中部日本人尋常小学校・上海第六日本国民学校 中州路102
1940年 第二次上海事変で破壊された跡地に創設した日本人学校
現・華東師範大学第一付属中学 当時のL字型校舎は今も使われていた

地図上でオレンジの印 二度の事変で大破 現在は存在しない
オデオン・奥迪安大戯院 1925年開場の劇場型映画館 があった場所

上海大戯院(アイシス1917年 があった場所は四川北路公園になっている

パンテオン・百星大戯院 1926年 中国初の有声映画が放映された 

福生路・羅浮路 淞滬鉄道は この道に線路が走り現・三号線路と合流

この路を進むと 日本海軍陸戦隊が死守した陣地に突き当たる

あの時 この路から 閘北 宝山路 宝興路へ戦火が拡大していった

戦闘から門だけが残った いまの生活を支えている 羅浮路

共同租界と隣接し二度の戦火で破壊されたみち 現・東新民路

境界線の鉄門・鉄線が張りめぐらされた交差点 いまは電線が絡みあう 

天馬書店 1934年〜1937年 魯迅自選集の初版はこの一角から生まれた

大阪朝日上海支局 1928年-1932年 のち長治路に移る
1928年11月に尾崎秀実が着任 いまは公安 中州路

海寧路 地図上では租界の境界線が横切る
このみちから見る日本人街 旧泊頓路・彭沢路方向

東和ホテル 1929年 四川北路・海寧路交 向かって右建物

北四川路 戦闘が繰り広げられたあの場所で

勇敢に戦った両軍の兵士 不会忘記 ・・上海の いまをありがとう・・

今日の上海 晴 23℃〜13℃ 春の陽気でした。
日本料亭・六三花園 料亭主人・白石六三郎 邦人の園芸会や
孫文 魯迅など著名な芸術家や政治家が集まり日中交流の場に

日本庭園や広大な芝生の庭を所有してたが 戦火で破壊 
現在は星程嘉馨酒店になっていました 西江湾路230

六三花園の目の前に 焼け残った建築物がある 西江湾路229

当時日本人が住んでいた 庭園の関係者か 従業員だろうか

地元の皆さん色々教えてくれてありがとうございました。

六三亭 料亭 創業者は六三花園と同じ 長崎出身の白石 六三郎 
彼は呉昌碩とも交流が深く花園で最初の展示会を開いた 

当時の面影は少ないが 中庭に井戸がありました。塘沽路346号

日本人で賑わったホンキュ あの町は辛うじて今も残る・・・