秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

 松江戦場のトーチカ群 

上海郊外の農村 日中戦争の戦場へ

上海事変の時 松江の攻防 起点となったクリーク登城作戦前線

上海事変の戦地巡り 情報は少なく 戦記を読んだり ネットで調べたり
地元の人に道を聞きながら ただ趣味で廻っています。

呉淞クリーク 閘北 大場鎮など なかでもひとしお 心残るのは
地下鉄で行った激戦地 肉弾三勇士の廟行鎮 と 激突・楊行鎮 
大都会の片隅に 当時の記憶どおり 戦跡が残っています。

著しい発展を遂げた松江の市内からみると 想像もつかない僻地

村々を抜け そこからクリークを渡り またクリークが立ちはだかる

戦記のままだ・・ 悪天候 雑木林 泥濘を歩き続け 

放置されたままの 第二次上海事変時 松江の戦場に着きました

日本軍を迎え撃つ蒋介石軍は屈指の精鋭部隊 ドイツ軍人の指導で
上海周辺にゼークト・ラインと称された要塞トーチカで陣を固めていた 

クリークを挟み一進一退の死闘の末 日本軍は要衝大場鎮を攻略し進攻
松江陥落を機に中国軍は撤退をはじめ 金山衛に日本の第10軍が
上陸するや一斉に全面撤退 日軍は杭州〜南京方面へ進軍してゆく

対面にも橋桁 クリークに橋が架かっていたのか 橋を守る橋頭堡が

戦場は1916年開通した滬杭線(上海から杭州までの鉄路)路線上にある

ひっきりなしに走る電車 今も昔も交通の要所です

昨年、市民からトーチカがあることを報道機関に情報提供された
その記事を読んだが 日本軍が鉄道と水路を監視するために作った
トーチカではないかという説明 研究材料として保存する方針

射撃用トーチカ 補修された印だろうか煉瓦に文字が入っている 

両トーチカには修復の跡があり 状態もしっかりしている
戦後 一時的に何かに再利用されていたことがわかる

当時の如く 線路の保安 監視 見張り台として使われていたのか 

鉄橋が見えた・・ここは終戦まで第六軍独混62旅団が死守していた
     

戦場のかぼちゃ 
雨降る戦場で 偶然 村人が通りかかった

何しているのと聞かれ、トーチカを見に来たことを話すと 
肉親はここで日本軍と戦ったと 私が日本人だと言うと驚いていました。
 
でも もう昔のことさ、笑顔になり、折角来たんだからと

畑からかぼちゃを採ってきてくれました。 わぁ大きい!

テーブルの上 大きさがわかるようにマグカップと並べた
 新鮮で美味しそう〜 平和と友好に感謝していただきます!