秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

日本軍百万杭州湾上陸 その場所へ

1937年 第二次上海事変 日本軍は大苦戦していた大場鎮を
落とし戦局は大きく動いた 国民党軍に追い討ちをかけるように
上海の南方・金山衛 白沙湾から浙江省の海岸線一帯にかけ上陸

上海市内に「日軍百万上陸杭州北岸」と書かれたアドバルーン
掲げた。日本軍杭州湾上陸は苦戦する中国軍の更なる士気を挫いた
実際は百万人ではなく第10軍の三師団隊 約十万人でした。

国民党軍は絶対防衛ラインとして 呉県から嘉興を通って乍浦鎮
まで(呉福延伸線)として無数のトーチカ陣地敷き構成していた。

大上海から、そう遠くはない上陸地点 そのトーチカ陣地は
いまもあるのか・・個人で徹底的に調査しました。(上記図 百度より)

行くみち松江の大河がみえた あの時の松江戦線のトーチカ群を想う

上海から浙江省へ片道100キロ のどかな田園風景が広がります。

麦畑のなかに 忽然と国民党の陣地が見えてきました

上海周辺に敷いたゼークト・ラインと称された要塞トーチカの
最前線 地下壕があり 大規模な軍事基地でした。

最近 中国政府が調査したそうで 新しい案内板が立っていました。

戦況は国防線ラインとしての機能は早々に失い 国民党軍は撤退 
日本軍は村々を粛清 討伐しながら内陸へ 南京を目指し進軍する

戦記にでてくる村々が その名の通り点在する ・・明るい笑顔

ときが癒して いまの平和 友好 出会えたことに感謝します。

可愛い鯰が釣れていました。食べられちゃうよ〜

戦場の村周辺は すっかり開発の波が押し寄せています。

中心部には 赤い三輪タクシーが走っていました。

進軍途中 散発的な戦闘は続いていました。包囲されたトーチカ群の
突破に相当数の犠牲者をだした。 大激戦になった場所がある

日本側中国側の資料を照らし合わせ あった・・やはり此処だった

黒焦げになったトーチカが 無数放置されています。

浙江省平湖市周辺には800個以上のトーチカが現存しているそう

戦局を打開するため掘った交通壕があぜ道に 田鰻が捕れるんだって!

ここは戦場だった・・ この時代に出会えてよかった!