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ホア族 胡志明ストリートヒストリー

胡志明華人街 関帝廟をグーグル・マップで探しましたが迷い、現地の人に vo van tan  street関帝廟があるときいて訪ねました。ビルに挟まれていて門構えは狭いですが 奥行きのある立派な関帝廟です。電気が消えていましたが、彼が突然現れて電気をつけ中に入れてくれました。ホーチミン関帝廟というと、一般的には福建省寧徳福安市の同郷協会が建てた福安會館の関帝廟が有名です。じつは私もその関帝廟に行こうとしていたのですが辿り着けず、こちらの関帝廟を教えてもらいました。なにかのご縁ですね。一日千里を走る・赤兎馬 関羽の愛馬もいました。その赤兎馬に跨り青龍偃月刀を抱える関羽 アメリカ華僑の寄贈品のようです。正門には見事な金剛力士、仁王・二王が描かれていました。そして壁には建国の父・胡志明ホー・チ・ミン)の写真を祀っています。案内してくれた彼と全く言葉が通じませんでしたが、如何に胡志明を誇りとし尊敬しているのか伝わりました。関羽を参拝し胡志明に感謝を捧げ、繁栄、平和を祈ります。地域密着の関帝廟ですね。チョロン区でガイドブックにも載るベトナム最古の天后寺院(Chùa Bà Thiên Hậu) Nguyen Trai streetに行くつもりでしたが、また何故か迷い違う天后へ着きました。着いたのは天后聖母廟 小規模ですが静かで威厳のあるお寺です。 優しいお顔の聖母さまが迎えてくれました。風調雨順 汎ゆる事がうまくいきますよう 国泰民安 国家が安泰で人民は平穏である.そしてここにも 人民と共に国のため尽くした胡志明が祀られていました。天后聖母廟がある通りはNguyen Thi Minh Khai Street - グエンティーミンカイ通りです。胡志明と共に戦った女性革命指導者グエン・ティ・ミンカイ 阮氏明開 当時のフランス植民地政府に拘束され1941年処刑された。その彼女を慈しむ通りにありました。 ベトナムの道は歴史を物語るストリートヒストリー 先の関帝病のある通り vo van tan st ヴォー・ヴァン・タンは当時の共産党幹部で民主化運動のリーダー。1940年サイゴンでの大規模蜂起集会を計画したがフランス軍に捕らえられ翌年処刑されました。BUI THI XUAN通りの由来 ブイ・ティ・スアン・裴氏春は西山朝に貢献したベトナム女性将軍 武道に長けたベトナム史上最大級の英雄 最期は阮福暎軍に捕らえられゾウによる踏み付け刑によって残酷に殺されたが 今も尊敬され人々の心に生きています。ストリートには誇り高いベトナムの歴史が詰まっています。国のために犠牲になった人たち 過去の歴史を忘れない、ヒストリーは未来へ語り継がれていくのでしょう。

・・サイゴンのヒンドゥ寺院 Mariamman Hindu Temple スリ・マリアマン寺院19世紀 インド商人によって建築され後にタミール系の人々によって改築、今に至ります。中央の祭壇には女神マリアマン像が祀られています。インド系だけではなくベトナム人、ペンタン市場に近いこともあり観光客も多くみられました。多神教ヒンドゥー教ならでは 神聖な動物の神々が鎮座していました。色とりどりの神様を眺めているだけで楽しくなりました。サイゴンには以前たくさんのインド人が住んでいましたがベトナム戦争中、その後に大勢の人が帰国しました。近年は少しづつインド系の人が増えてきているそうです。ここに胡志明はいませんでした。壁に飾られているのは寺院に尽力した人のようです。石壁との対話 壁に頭をつけ神に悩みを打ち明ける。神の声は真に誠実で善良な人だけに聴こえるそうです。壁の石は100年以上前に故郷タミールから運ばれたと言われています。神秘的なヒンドゥーホーチミンヒストリーですね。ホア族(Hoa/華)ベトナムにおける華人の呼び名 胡志明を敬い祀るチョロン地区に住む華僑、1975年70万人いた人口が3年後1978年には10万人にまで激減しました・・来月ハノイから、ホア族・チャイニーズヒストリーのつづきをお送りします。ホーチミン編お付き合いくださりありがとうございました。次回は神戸からです! 

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