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上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

広東幇・台山の人がつくった関帝廟

世界に羽ばたく広東幇 台山寧陽出身者 彼らこそ中国の夢を叶えた人々である。中国大陸から半ば無政府のマレー半島へ、そしてペナンにたどり着いたのは1780年代、彼らは自身を守るために同郷、同業など次々と結束し、現在もペナンには三百以上の華僑団体があります。1831年に設立されたペナン台山寧陽会館は、マレーシアで最も古い中国人協会です。二大勢力の福建幇ともに町を造り修復し続けている。彼らのペナンは檳城ではなく 福建閩南語で庇能と書きます。ゴールドラッシュの夢 またアメリカの西部地域の開発と鉄道建設の労働者として沢山の人が故郷を後に米国へ、米国華僑の先駆けとなりました。三藩市(サンフランシスコ)唐人街の主役は言うまでもなく 広東幇・台山のひとたちなのです。(1939年創建のチャイナタウンのトレンドマークCathay House 華園酒店)1845年にサンフランシスコに大規模な台山寧陽会館ができました。強いネットワーク、分布が広いため、他の華僑の追随は許しません。相互扶助の精神のもと建設にあたってペナンの寧陽会館も最大級の協力を惜しみませんでした。1833年 彼らの夢である関羽を祀る武帝廟を 庇能で開廟させている。関羽を祀る廟としては 1862年創建、横浜中華街の関聖帝君 1892年に呉錦堂らによって神戸に移された関帝廟より長い歴史を刻んでいます。庇能台山寧陽会館の武帝廟 ご利益あれ 

早速お線香を買って・・余程たどたどしく見えたのか、見かねた会館の人が火をつけ拝拝の仕方を、つきっきりで伝授してくれました。何から何まで 親切にして頂きお世話になりました。忠義参天 台湾高雄の東照山關帝廟から贈呈された額 人口2300万人の台湾に800万人もの関公(関羽)の信者がいて家には関公の香箱、聖像が祀られ崇拝されているそうです。台山寧陽会館が歩んだ道は 華僑の歴史、そのもの・・・栄光と財は勤勉な彼らの血と汗の結晶である。きょうも 彼らが辿るジョージタウンに お香のけむりが舞っていました。