秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

戦場にかける白川橋

呉淞クリークにかける橋 国民党軍が撤退の際に爆破した橋を
工兵隊が修復した。当時は戦果を称える絵葉書にもなり その名も・・

白川橋 由来は上海天長節爆弾事件に倒れた白川陸軍大将の苗字から
物資補給 軍事陸路を確保する橋として活躍した

※地下鉄三号線電車内から 同じ方向を写してみました。

呉淞大橋 軍事 交通 貿易の要地 呉淞口に1887年に木橋が架けられた
戦後 1945年に蕰藻浜大橋として重建が繰り返され1992年に現名となる 

呉淞鎮 地鉄三号線 淞浜路駅 ベットタウン化が進み 乗客が行き交う

吴淞新城 クリーク沿い 大型マンション群があります。この場所は

軍事要塞攻防戦 上海戦跡として絵葉書になるほど破壊された町だった 

淞滬鉄道陳列館 呉淞駅があった場所 戦火で被災し廃線になったが
戦後に復活 当時の機関車、線路、時計台を復元

陳列館には 鉄路の歴史パネル 写真などが展示されていた
線路は1997年に撤去され三号線・明珠線へ移行 呉淞11坊街緑地 

手前にウースンクリーク 貨物船がゆくのは黄浦江 後ろ岸は浦東新区

水路の辺 そこが戦場だった 幾日も幾日も陣地を守り援軍を待つ

大小 無数のクリークを渡り 飛び交う弾丸の中を進軍する

上海事変 淞滬開戦は湿地とクリークを制するものが勝利する 

上海の生命線ともいわれたウースンクリーク(黄線)の渡河作戦
各方面で 強固な陣を構えた敵陣に阻まれていた 

多くの犠牲者をだしたこの戦い 月の灯りで 最前線へ進む兵士達

命をかけて渡った戦場にかかる橋  あの場所の今を ・・つづく

呉淞で出会った人たち ぶたさんのセーターが印象的 笑顔が素敵!

呉淞開埠記念広場 象に乗って楽しそう〜私もこの町に来て楽しかった!

 ※休暇に入り帰郷します。北国の遅咲き桜が見られそうで楽しみです。
   次回は5月後半の予定です。 では行ってきます!