秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

高杉晋作と浦東をゆく

1862年 高杉晋作は上海で何を見たのか

商館紛壁千尺殆ど城閣の如し 各国の商館がまるで城閣のように並ぶ
清の弱体により列強支配半植民地化された上海 写真維基百科より

新大橋 現・外白渡橋 晋作が渡った当時は木橋 1907年に鉄橋が竣工 
今去七年前、古橋朽崩、支那人不能再建、
因英人建此橋、支那人毎通行、貢壱銭于英人云 虐げられる民族の誇り

英仏の属領とになった上海を見て
晋作は 祖国の未来を危惧せずにはいられなかった

太平天国烈士墓 浦東新区高橋鎮屯糧巷草高支路1000号
この地で散った名もなき兵士 多くの犠牲者が眠る

民衆蜂起とされる太平天国の乱に遭遇した晋作 其広大厳烈、不可以
筆紙尽く也 と記載 国家意識に目ざめる人々の叫びに心が奮立った

高橋砲台跡 墓の後ろにある丘 清が作った砲台があった旧所である

高橋鎮鎮北村 太平軍二万二千の大軍が高橋鎮に集結
三度の大作戦を遂行 対抗したのは清軍と欧米が共同出兵した常勝軍

太平軍が威信をかけて戦った 最後の砦 浦東の城跡を目指して歩く 

コンテナ置き場 トレーラー入口に城壁が見えた 城は会社の敷地内だ

現在は立入りは禁止でしたが 保安さんに頼みこんで

門の鍵を開けてもらえました。

老宝山城遺跡 明代1576年創建 軍事要塞として造られた

城内敷地は広く 将来的には補修整備をして開放するそうです。

城壁に登城 御堀 菜の花が咲き 鶏が戯れる様子が見えました

高杉の日記に 砲声や銃声が聞こえたことが記載されていたが
その凄まじい爆音は日時的にも この城での戦いのものだと思われる

長州に戻り、翌年奇兵隊を組織・・もし高杉が太平天国の乱 民衆の戦いに
遭遇しなかったら 幕末 日本近代史は大きく異なっていたかもしれない
                        
太平天国の戦場には地下鉄で  六号線・浦東線終点の港城路站
古鎮 高橋鎮老街など残っていますが ここは幾度と戦場になった

太平天国の乱 のちも 第一次上海事変では国民党軍が強固な
高橋要塞を造り日本軍と抗戦 浦東にも道ゆく道にトーチカがあった

激しい戦闘の跡 無数の砲弾 薬莢が突き刺ったままで・・ 
               ※太平天国発祥の地へ