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上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

孫文を記念する

寅年好!トラと言えば台湾虎牌米粉 『TIGER 您哪個年代的老朋友』稲に囲まれ虎が舞う新竹米粉 稲が連なる豊作を意味する縁起の良い食べ物です。米粉ビーフンは台湾の家庭で頻繁に食卓に並びます。みんな大好き笑顔~口福f:id:ekobiiki888:20220105212707j:plainさて今回は台湾では国父、中華人民共和国では革命の父と呼ばれている孫文先生の謂われの地 孫文が初めて日本の地に降り立ったみなと町・神戸からf:id:ekobiiki888:20220106121608j:plainその年は激動の1895年 4月下関条約・日清調和条約調印 広州蜂起失敗 多くの有能な同士を失い、孫文は傷心で広州から香港に脱出 神戸経由で横浜、東京へと向かいました。(立ち寄った香港で写真館をしていた梅屋庄吉と知り合い、時代を動かす大きな協力者になりました。)f:id:ekobiiki888:20220106084344j:plainその後、何度も来訪する。国境を越えた絆、孫文を支えた日本人がいました。f:id:ekobiiki888:20220105231030j:plain神阪中華会館の歓迎会 孫文に夢を託し歓迎する神戸華僑  f:id:ekobiiki888:20220107220409j:plain辛亥革命 華僑の支援、日本朋友の多大なる協力は 近代史の礎となりました。f:id:ekobiiki888:20220107235959j:plain歓迎孫逸仙先生来神 熱烈な歓迎会が行われたf:id:ekobiiki888:20220108102105j:plainその場所は 現在の神戸中華同文学校です。f:id:ekobiiki888:20220108022914j:plain1913年8月 第二革命に失敗し日本に亡命 f:id:ekobiiki888:20220108012147j:plain

f:id:ekobiiki888:20220108015724j:plain宋慶齢 14歳でアメリカ・ジョージア州のウェスリアン大学に留学して文学学士号を取得、孫文と日本で会い1915年10月25日東京で結婚しました。f:id:ekobiiki888:20220105223224j:plain梅屋庄吉・トク夫妻の計らいで梅屋別宅で披露宴をあげる。トクは結婚後の二人の生活をこと細やかに支え、妻同士の交流は夫同様に強い絆で結ばれました。※生涯変わらなかった梅屋トクと宋慶齢の心の絆は 戦後も受け継がれ1950年代に宋慶齢は梅屋夫妻の娘さんを中国に招いている。f:id:ekobiiki888:20220108093549j:plain中国へ帰国した後、第一次国共合作を成立させた孫文は 1924年に再訪し11月28日旧制神戸女学校高校において支援者や経済団体を集め演説する。
f:id:ekobiiki888:20220108103706j:plainアジア主義講演 3千名の席はすぐ埋まり講堂の外にも人々がつめかけ溢れんばかりの熱気につつまれました。f:id:ekobiiki888:20220108115236j:plain孫文の一句一句に拍手喝采、感動の渦に巻き込まれました。また宋慶齢も女学生に向けて、女性運動、女性の地位について語りかけました。f:id:ekobiiki888:20220108120809j:plain革命今だ成らず  1924年12月北京に戻った孫文は体調不良を訴え末期の肝臓がんに侵されていることがわかりました。1925年3月12日・・『革命尚未成功、同志仍須努力』 遺言を残し、大アジアの講演から4ヶ月も経たずにこの世を去りました。孫文享年58歳f:id:ekobiiki888:20220108132533j:plain戦後 1948年3月神戸にて 戦後初めて孫文を記念する会が開かれました。f:id:ekobiiki888:20220108135359j:plain孫文を記念する 大アジア構想の思想は後世に語り継がれ、孫文の誕生日や命日を記念した偲ぶ会が華僑と市民と行政が一体なり行われてきました。世界に開かれた日本の窓口・神戸の特徴である。f:id:ekobiiki888:20220108150635j:plain革命家が生まれ、生涯を閉じるまで 多くの人が孫文に心打たれ共感し、またどれほどの中国の仲間、華僑、日本の友人が力を与えてくれたのでしょう。f:id:ekobiiki888:20220108152834j:plain
孫文の遺書『私は40年間 国民革命に尽くしてきました。その目的は中国の自由と平等をもとめることでありました。この目的を達成するには我々を平等に扱ってくれる民族と連合し努力しなければならない。』f:id:ekobiiki888:20220108154928j:plainあのときの中国 そして日本へ繋がる・・革命家・孫文は日本を重要な足場にして革命を進め、日本を第二の故郷だと言っていたそうです。永遠的友好・・永遠的朋友

資料参考、写真は神戸華僑歴史博物館 孫文記念館、孫文物語展示です。転載転用は禁止します。