秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

走向世界

統治時代の面影が残る街並み 連なるトライショー(人力車)が走る多民族が住むジョージタウン マレー系の人々は殆どがイスラム教徒です。街歩きのバックミュージックは四方のスピーカーから流れるコーラン ペナンはチャイナ色が強いですが、やはりマレーシアはムスリム国家ですね。こんな可愛い清真寺(モスク)もありました。Jalan Khoo Sian Ewe紺碧の空 南国の通りに多彩なミックスカルチャーが溶け込んでいる。潮州寺院 広東省東部、潮汕(潮州及び汕頭など)から来た華僑が1864年に建築を開始し1870年に完成した。韓江家廟 韓江とは広東省を流れ南シナ海に注ぐ母なる大河 潮州人が基金を出しあって寺を守っています。学校を作り教育に力を入れ、皆が学べるように奨学金制度を導入いまも繋いでいます。 Lebuh Muntri (南華醫院街) そんな彼らを悩ませたのは疫病でした。かつてここに広東省ら来た医師が開いた Lam Wah Ee Hospitalがあり、献身的に多くの人々を助けたそうです。今も敬意を評して記念の道名が残る植民地時代に移民である人々を守るのは同郷の絆でした。姓桟橋 Clan Jetties 1900年代に福建省の人がペナン島に渡ってきて、港湾作業員や漁師に就きました。同郷同姓で住み始めた水上集落群がいまも残っています。姓周橋 Chew Jetty はジョージタウンUNESCO世界遺産の一部です。僑郷 桟橋に高底式住宅を造り 同郷どうし肩寄せ生活しています。大小の桟橋に王さん、林さん、周さん 陳さん、李さん、新さん、楊さんがそれぞれ住んでいます。あとふたつの姓橋がありましたが老朽化や住民減少で閉鎖されました。姓林橋の目印 日月壇は1976年に建立されました。海の女神・媽祖聖誕日の陰暦3月23日に祭りが行われ、媽祖像を乗せた船が大勢の船と共にくり出し対岸を往復して海の安全を祈願します。陸では巨大な像とドラゴンが舞い、それはそれは賑やかだそうです。各家の それぞれの守り神様に祈り 土地神さまを慈しむ走向世界 先祖が命がけで海を渡り 辿り着いた地一花一世界 一つの花は一つの世界 この地を愛し一生を過ごす 華僑ではない華人 マレーシア生まれの時代がきました。マレーシアを誇りに 先祖が歩んだように 走向世界へ 羽ばたくのだろう 

 

WATERWAY  ワイヤーアートはユーモアだけではなく当時の世相を表している。 この街の優しい人達 This town has a lot of warm and kind people who take care and give vocal support to tourists like me.感謝你們 I thank them very much for their smile and kindness.光華日報 ペナン滞在中の孫文が設立した新聞社 1910年12月20日に創刊された 世界で最も長く発行されつづけている中国語の新聞です。Presgrave Street時代に想いを馳せ My favorite town in the world where the face of old times still remainsさよなら Farewell, Georgetown, until we meet again.