老上海 パーク・ホテルの窓から競馬場が見えた
国際飯店 パーク・ホテル 1933年築 地下2階地上22階建て 当時
号外がでるほど話題に。1960年代まで東アジアで一番高い建物だった
3層まで外壁に黒色花崗岩を用い中上層には焦げ茶の化粧タイルを貼る
重厚な風格をいまも保ち続ける 館内に資料館有り 南京西路170号
大光明電影院 グランド・シアター 南京西路216号
1928年12月22日落成 23日に記念すべき初上演作が開幕
その後 1929年に始る大恐慌のあおり受け 経営不振により一時廃業
1932年大改装の末 現在の原型に。2008年に再改築 映画館で営業中
座席1961席 アメリカ式を取り入れ音響 反射光灯 舞台演出は東洋一
三基の噴水が リズムカルに色とりどりの噴水を吹き上げていた。
一角にある影院文化廊下 大光明電影院90年の歴史の入り口です
年代事の歩みをパネル展示し 歩きながら時を遡っていきます
1930年代 上海屈指の劇場となり一流エンターテインメントを披露
中国の文化の発展を この劇場が牽引しました。
ときの世相 出来事が上映にも大きな影響を与えました。
戦争の暗雲が立ち込める中でも 租界劇場は華やかな演出が続いていた
1941年 太平洋戦争が勃発 日本軍が公共租界を占領
1942年 敵性国文化として居留民の娯楽施設へ立入り禁止条例を発布
映画館 ダンスホール クラブなどが々と営業停止に追い込まれる
そのなか敗戦色濃くなった1945年5月 突然 服部良一らの企画で
「夜来香幻想曲」李香蘭のリサイクルが開かれた 会場は超満席
立見もでて喝采とカーテンコールが鳴りやまない 大成功をおさめた
だがコンサートの記載はない 敗戦の出来事だけが書かれていました
国際飯店の窓から見えた競馬場は 廊下の壁に描かれています.
屋上から旧競馬場 現存しているレースクラブ鐘楼時計台が見えました
疑問が残る・・警務局管轄で音楽の規制がされ米英の音楽、そして
何日君来などの演奏が禁止されていた 終戦真近を察知してたこの時期に
なぜ李香蘭がコンサートを開き、日本軍はそれを許可したのか?
・・そして 李香蘭はグランド・シアターから 消えていました・・
更新舞台 中国劇場 1930年1月開業当時の名は三星大舞台
1934年に更新舞台と改名 1954年中国劇場に再改名 京劇専門の劇場
只今、工事中です・・空気も悪いし危険 立入り禁止だよ
完成したら劇場を見においで わざわざマスクを外して話してくれた
ありがとう、きっと素敵な劇場になるでしょう 必ず見に来るね!