浦西公寓 ピアスアパート 1931年築 通称・日本人街とよばれた
乍浦路のシンボル 当時は七階建てだったが増築され 九階建てに
阿片王・里見甫が住んでいたことも有名 魔都上海を代表する建物
門口は狭いが ピアスアパートは壮大な建物で中庭が驚くほど広い
当時 里見甫を訪ね、度肝を抜かれたのはマキノ雅広監督だった
1943年 里見が資金をだしマキノは阿片戦争という映画を撮っている
建物の中、口型に中庭があります。当時と同じ重圧感があります。
今回 住民の人に許可を経て 建物に入れてもらいました。
里見は小さな一室を借り 通いの女中さんが身の回りの世話を
していた。阿片資金に群がりたかる人から頻繁にドアがノックされる
そのため いつも風呂敷に包んだ現金を用意していた
お金をせびりに来る人には気前よくくれてやった、また
刺客から狙撃の的だったが かわし続けた強運の持ち主であった
屋上へ登り外灘方面をみる 乍浦路沿いは解体中か建築中です。
見えてたはずのブロードウェイマンションはビルの影 もう見えない
彼が住んでいた時 ここは娼館や芸者置屋、料亭が連なる歓楽街だった
すっかり更地になり 辛うじて残る六三亭がみえた・・
(下は塘沽路から撮った 日本料亭だった六三亭の建物)
海寧路方向を見る 高層ビル群に変貌した 今も正しく魔都である
乍浦路を歩く 男たちの 夢の跡を歩いているような気がする
里見自身は私利私欲は薄く 阿片王という感じではなく普通のおじさん
皆が親しみを込めて 里見のおっさんと呼ばれていた
そして ・・この街には優しい人達 おっちゃんが住む
笑顔のおじさんたち
あの時 里見甫がみた世界に たくさんの友達がいる
今は わたしのまちに なっている
不思議だニャー・・ね!