秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

天才君のおかげで!張聞天故居へ

今回も浦東の名所へ 地下鉄11号線から羅山路駅で16号線へ乗り換え

16号線は殆んど地上を走る、車窓からのどかな田園風景が見えます。
水の豊富な江南はビニールハウス農業が盛んに行われていました。

恵南駅 自然豊かな上海野生動物園がある次の駅です。
地方へ行くバスターミナルがあり 沢山の人が降りていました。

地方の田舎町の雰囲気、ここまでくるとレンタル自転車はありません
白タクやバイクが何処へ行きたいのかと 声をかけてきます。

道路いっぱいに近隣の村から駅へ来る人のバイクが並んでいます。
浦東は海風が強い、防寒のため、毛布などで重装備していました。

道に迷っていると あっちだよって子供が指をさし教えてくれました。
私が困っていること、わかってくれたんだ!

真棒!おばあゃんの自慢のお孫さん〜頭が良くて、可愛いですね。

天才君が笑顔でバイバイしてる 本当に好い子だ!〜謝謝!再見!

彼のおかげで無事にバス停に着きました。浦東24番に乗り
新築の家が並ぶ町 広々とした道 川南奉路聞居路停で降りました。

張聞天故居 浦東新区祝橋鎮川南奉路4398号

1892年築 江南農村独特の木造作り 1989年修繕工事されました。
張聞天の生涯 実家は旧処として保存展示されています。

展示場で迎えてくれる張聞天像 両側の言葉はトウ小平氏と江沢民氏です

これは張聞天故居の修繕前の写真 かなり大きな屋敷ですね

張聞天 1900年生まれ 政治家 文学者 思想家 1919年に起きた
五四運動で友人と共に愛国学生運動に参加 理想に燃えた若き張聞天は

1920年7月 日本へ留学 文化人の集まる東京に滞在した

新しきを追い 真実を探求し独学した 何かを掴み上海へ戻る

東京での体験、時間は彼に 知識と経験、確固たる信念を与えた
のち米国サンフランシスコへ留学 1925年に中国共産党へ入党

モスクワ留学を経て中央書記局書記などを歴任 1934年に長征参加 
1935年遵義会議で毛沢東を支持し中央書記処総書記に選ばれました。

・・混沌とした時代 学び親しんだ日本と泥沼の戦争へ突入
彼は抗日西北の地で延安馬列(マルクスレーニン)学院学長を兼任
戦後は 黄土高原などの農村研究調査 大地の開拓 教育に勤しんだ
国共内戦 新中国成立後はソ連大使 外交部副部長などの役職に

だが1959年盧山会議で右傾分子として批判され失脚 文革で再批判 
彭徳懐らと共に迫害される 晩年は虐げられた苦渋のみちを歩んだ

1976年 支え続けた家族を残し病で世を去る 気高く生きた人生だった
1979年 死後二年後名誉回復 多くの著作や翻訳、文学作品を世に残した

そして2000年・・張聞天生誕100周年に江沢民氏と握手する、
誇らしげの95歳になった劉栄夫人がいた(二年後の97歳で大往生) 
今年は生誕118年 ・・永不言悔共産党員と言われ人々の心に残る ・・

張聞天故居で 印象に残ったのは張聞天と劉栄の夫婦の写真でした。

そこにある笑顔は どんな困難にも負けない勇気を物語っていました

こちらも素敵な笑顔 仲の良いカップルです。ふたりと
出会った記念の一枚〜 これからも幸福な人生を歩んでくださいね。

天才君のおかげで ここまで来れて本当によかった・・感謝です!