秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

鉄塔と繁塔 幻の百塔寺

河南大学 1912年開校 中国重点大学に選ばれた歴史ある名門校
校門は 1902年建築された城門を改修した。キャンパスから、

塔が見えます。開封の歴史建造物は度重なる黄河の氾濫で土砂に
埋もれてしまいましたが、北宋代の二つ塔が現存しています。

鉄塔・開宝寺塔 北宋代1049年に建てられました。地元の人が 
鉄塔は 河南大学から見るのが一番美しいと教えてくれました。
千載古塔 開封前営開門と共に本当に美しい 悠久の歴史を感じます。 

千年もの間 耐えたもうひとつの古塔へ バイクタクシーで向う 

屋根がないので直射日光が当たります 後ろを走る人も暑そう〜

禹王台公園 途中に寄りましたが閉鎖されていました。

繁塔 開封最古の塔 北宋974年建築 元名 興慈塔 及び天清寺塔

宋代は六角九層の塔でしたが 数々の災害 混乱で三層になりました。
優美な姿は健在 造りの煉瓦 ひとつひとつに仏像が刻まれています。

繁塔の側で 数百年 黄河の氾濫を耐え抜いた樹木です。
祈りの場となり この地域の神木として祭られていました。

そして この繁塔(天清寺)の僧侶たちの墓地があったという場所へ

百塔村 村人220人足らず 一般には全く知られていない村です。
この小さな村は 北宋時代から歴史に名を馳せてきました。

どうして百塔村というのか・・

塔寺 僧侶のための寺墓地があり 埋葬した場所に塔を立て百塔に
なり百塔寺と呼ばれ、その寺があった村は百塔村といわれました。

いまは村人のための寺 仏さまに守られています

個性的な仏像さま 麒麟と龍に上に座っています。

こちらさまは龍と象 インド仏教の影響を受けたのかもしれません

土着して育まれた 祈りの寺なのです

百の塔は 清代初期まで 数基現存していたそうですが
戦火と 黄河の氾濫で 一基残らず 幻として消えたそうです。

でも・・塔がなくても 北宋から今も百塔寺の歴史はつづいています。

ありがとう バイクタクシーの運転手さん

地元に人に尋ねながら 探してくれたので百塔村に辿り着けました。

彼はムスリムなので一緒に羊肉泡馍(ヤンローパオモー)を食べました!

開封・順河回族区からです。

上海から890.5キロ 河南省開封北站です。
高鉄(新幹線)は速い!4時間40分で楽々着きました。

北駅は郊外にあります。ここからバスに乗り市内のホテルへ

バスからの風景 黄河下流域に 新興住宅が続々建設されています。

平原の真中に栄えた 中原(ちゅうげん)中華文化の発祥地です。

北宋の都となり東京開封府と称された
人口が100万人を超える世界最大の都市となる 誇り高き古都なのです。

黄河 東京 その名にちなんで街の中心部の通りに

乗り合わせた女性が開封のことを色々教えてくれました。 
彼女は結婚して鄭州に住んでいる、里帰りで開封に戻ってきたそうです。

バスで一時間、順河回族区に着きました。後方のホテルに泊ります。

わたしを見て、お茶売りのおじさんが珍しそうに話しかけてきました。
ここに観光客は殆んど来ないようです。

おじさん上半身裸ですが ・・本当に暑いんです!

夕刻7時で この気温 明るさ 内陸へ来たーとわくわく実感します。
なにせ、私はシルクロード西安に住んでいましたから
ホテルの周りにイスラムの夜市、屋台がでます。追って紹介しますね!

部屋から 

観光地だけではない

隠れた開封の歴史にふれる旅へ

開封は温泉之都 殆んどの宿に温泉がでます。

おかげで 黄土舞う道 乾燥と酷暑に

負けません!

アヘン戦争と上海事変 乍浦砲台 日本軍上陸百人抗 

前回に続き 浙江省嘉興平湖市 杭州湾に面した乍浦鎮から 

アヘン戦争 乍浦の戦い はこの小さな漁村でおきた戦いです。
乍浦鎮は海の国防線の最前戦基地になり 小高く海を望む
九龍山は見晴台として 海洋防衛の要塞の役割を担ってきました。

清軍が海岸に沿って城壁をひき砲台が設けられました。またこの地は
唐代から交易港の記録があり度々海賊や倭寇から襲撃を受けていました

南湾古炮/嘉興砲台 砲台を囲むように積まれた土嚢は石灰 砂 
糯米、明礬で固めて造り 強固な軍陣でした。

天妃宮砲台 この高台に海を守る天妃宮という媽祖廟がありました。
アヘン戦争では廟は最後の砦となり英軍に焼き払われ、守備軍は全滅
その廟を惜しみ この名が付けられました。

英軍が撤退するさいには 最後の砦となり多くの犠牲者がでました。
その後日中戦争でも 国民党の防衛線となり日本軍上陸の戦いで
甚大な被害がでます。数々の戦跡が時を越え空しく現存しています。

城壁は 海からの敵を阻むことはできませんでした・・

その要塞は いまは見晴らしのいい、市民の憩いの場になっています。
地域の発展 平和 誇りに満ちていました。

そして ・・高台の下には 漁民が復活させた天妃宮があり

海の安全を願い お線香があがっていました。

ご利益いっぱいだそうですよ!

来る者拒まず 色々教えていただきありがとうございました

廟主さんの長寿を願う 海を守って百歳まで長生きしてね!

そして・・この地には

日本軍進撃際に 犠牲になった村 百人抗が

ここであったこと 

忘れてはいけない・・

※明日から旅に でます!