秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

見果てぬ夢  日本の原人ここにあり

果てしない夢は限りなく未知である・・各駅停車が停まる無人f:id:ekobiiki888:20210121232518j:plain山陽電気鉄道本線中八木駅(なかやぎえき)兵庫県明石市大久保町八木道沿いf:id:ekobiiki888:20210121233800j:plain日本の旧石器時代の足跡、文明の始まり 日本考古学及び人類学にとって世紀の大発見だった可能性を捨てきれない場所であるf:id:ekobiiki888:20210122155431j:plainのどかで平坦な農地が広がる 瀬戸内の温暖な気候、豊かな実りに恵まれていたf:id:ekobiiki888:20210122161041j:plain東播磨灘に面した豊かな漁場 向こうに淡路島が見える。f:id:ekobiiki888:20210122164745j:plain自然に恵まれた海岸線は絶滅が危惧されるアカウミガメの産卵地として保全活動、生態の調査が行われている。f:id:ekobiiki888:20210122174548j:plain八木遺跡公園 化石発見の地 明石原人やアカシゾウのいた古代をイメージした公園として2004年開園。また阪神・淡路大震災の教訓を生かすべき備蓄倉庫・飲料水兼用耐震性貯水槽が設備され市民を守る防災公園としての役割を担っている。f:id:ekobiiki888:20210122214508j:plainアカシゾウ発掘地 約120~180万年前に西日本から関東地方に渡る広範囲で生息していた長い牙が特徴の小型の象 アジア、アフリカゾウとは異なり絶滅した種 各地方の地層から比較的多く発見される。また明石海峡で漁船の網で引き揚げられることもあり多くの群れが存在していたと想像されます。f:id:ekobiiki888:20210123011337j:plain屏風ケ浦という名は海食壁が連なりあっていたことから、屏風ケ浦海岸には象や鹿の化石 石器などを含む遺物包含層が存在し地質学 古生物学でも大変有意義な場所であった。だが古代への道標の断崖、地層は護岸工事のため今は殆ど見られない。f:id:ekobiiki888:20210123013555j:plain

明石原人発見者の直良 信夫氏は波乱に満ちた生涯をおくった考古学者。療養を兼ね明石に住み一帯の発掘調査していた。1927年(昭和2年)礫層中から自然界としては不自然の瑪瑙の一塊を発見。のち旧象の白歯化石などを採集、この地に旧石器の人類の存在を感じ予見していた。(下右端柵の中は古人の腰骨が発見された発掘現場である)f:id:ekobiiki888:20210123024256j:plain明石原人腰骨発見地 1931年(昭和6年)4月18日、明石市西八木海岸の更新世の地層の崩壊土の中から古い人骨の一部・右寛骨を発掘した。当時はセンセーショナルな発見とし大阪朝日新聞で「3,40萬年前の人體の骨盤現る」と報ぜられるf:id:ekobiiki888:20210123231458j:plain

直良信夫は貧しい農村で育ち、自然にふれる中で生物学に興味を持つ、動植物の生態、考古学を独学で学ぶ 彼の発見した明石原人化石人骨は年代を含め何度も議論の対象になった。発見という功績もろとも不定されることもあった。肝心の現物は東京大空襲により消失 戦争と学閥争い 数々の苦難に翻弄されながらも在野の研究者として道を歩んだ・・松本清張の小説「石の骨」のモデルになった人物であるf:id:ekobiiki888:20210123160728j:plain

学歴がものをいう、彼のレポートや論文の一部は軽んじられた。閉鎖的な学会、しいては日本社会そのものが浮き彫りになる。そして今も明石原人に関わる論争は決着はついてはいない・・そのヒントはどこにあるのだろう。

f:id:ekobiiki888:20210124015538j:plain 藤江川添遺跡 中八木駅の隣の藤江にある小さな川の周辺には近年 旧石器・縄文時代の遺物が見つかっている(左には古墳遺跡の名残 右丘からは縄文時代の出土が)f:id:ekobiiki888:20210124132634j:plain藤江別所遺跡 藤江ポンプ場の中にあります。弥生時代後期の溝と同時代から江戸時代初めまで長期間にわたって使用されていた水の湧き出る井戸(泉)が見つかりました。その井戸から古墳代の車輪石、腕輪・銅鏡、さらに勾玉などが出土 当地を治めていた首長が祭祀を行った井戸跡と思われる。f:id:ekobiiki888:20210124141910j:plain鉄分を含む赤茶の水を清め祭祀を行っていた神森 平安時代は格式ある神社のひとつ山王権現・現名は御崎神社 明石市指定文化財に認定されている民俗芸能、矢で悪霊を撃ち落とす藤江山王大権現的射祭が1月10日前後の日曜日に行われている。f:id:ekobiiki888:20210124154959j:plain

藤江出ノ上遺跡 藤江川の西側の小高い丘の上にある青龍神社境内に位置します。縄文時代の土器が出土 石鏃・磨石(すりいし)・叩き石等が発見され、これにより縄文時代には藤江川流域でひろく狩猟・採集生活が営まれていたことがわかってきました。f:id:ekobiiki888:20210124165344j:plain採集地は表土が流失し、現在遺物は全く採集されなくなりました。f:id:ekobiiki888:20210124172400j:plain藤江川添遺跡 海岸近く播磨灘に注ぐ藤江川の河口から遡った低地に縄文土器を含む地層よりも下に堆積した砂礫層からメノウ製の旧石器が見つかっている 形態的には世界各地の原人が用いていたとされるハンドアックス(握り斧)に最も似ているそうです。しかし明石原人がいつの時代の人類なのか、いまもって解明されてはいない。f:id:ekobiiki888:20210124180300j:plain

明石原人発掘の場所・美しき西八木海岸から明石海峡大橋がみえた・・

見果てぬ夢 日本の原人ここあり・・