残暑厳しき折 みなさまお元気ですか。私の近況ですが少なくとも年内は日本に滞在することになりました。当面上海秘境巡りはできないのでブログ内容が変更になっています。中国名所の再調査・紹介に加え、日本滞在のことを纏めていこうと思います。天橋立に行きました。自然の奇跡が作った芸術、さすが日本三景のひとつですね!松島 宮島にも行って三大絶景を制覇したいです。道産子の私は、北海道以外はことは疎いですが、行ったことがある、これから行く日本の観光地も紹介していきます。無理しない程度に国内旅行を楽しみたいです。
・・穏やかな黄河支流・・河南省 山西省の県境 広がる豊かな農地黄河三角州地帯「黄河を治める者は天下を治める」今から4000年ほど前に夏王朝の禹が黄河に挑み治水をおこなった伝説の場所である。三門狭ダム 黄河にかかる最大のダム 1952年に計画され54年にソ連の技術者が派遣された。57年に黄河治水計画として一大プロジェクトが着工。多くの問題を抱えながらも61年に完成しました。 河南省三門狭市新中国が設立された当時から黄河の整備計画が持ち上がっていた。1952年毛沢東が黄河を視察、朱恩来を任命し指揮を高めた。中国史に名を残す歴代皇帝と同様に毛沢東も氾濫を繰り返す黄河の治水事業に執念を燃やしました。
万里黄河第一ダム 建築には常に党主導で行われた。河口上流の陝西省は水質と土壌の保全こそが黄河を活かす最高の理と唱え、ダムの建築に最後まで反対しました。陝西省の懸念は一年後には実際のものとなった・・堆砂で漢中平野の地下水は枯渇し、穀物生産量が大幅に減少 塩害 浸水 次々と問題が露出した。そのたびに何度も改善改造の処置がとられ現在も進行中である。
プロジェクト側は治水 水力発電 工業および農業用水確保で大きな成果があったと強調している。実際下流の工業都市は大きな発展を成し遂げている。だが黄河最大のダムは最大の水質汚染もうんだ。本当に必要だったのか賛否がわかれる 治水の神・禹王には 暴れ黄河が一筋縄ではいかないことはお見通しだろう・・山西省運城夏県禹王村へ 戦国時代魏の首都・安邑が置かれた・夏王朝の禹が都とした地。また有名な北宋代の歴史家・司馬光の故郷でもある。村から7.5キロ先 穀物畑の中に見えてきた禹王城遺跡 ここが禹王が城を築いた場所です。都城跡 土台が残っていました。禹王大帝 禹王を祀る禹王廟は戦火で消滅し(一帯は日中戦争の戦場でもありました)近年再建されました。
都城の上 遥か向こうから 黄河の氾濫は農地や城にも迫ることがあった。禹は治水を制し農地の開拓に力を入れ農民を喜ばすことに尽力しました。質素で勤勉、戦いを嫌い兵器の生産に消極的でありました。その人柄は後世に語り継がれています。この地を守る管理人さんの話に 悠久の伝説が蘇る。黄河文明の発祥は 支流 渭水 汾河から始まりました。本流に流れる支流の保全こそが水利の原点である遥かなる黄河 生命の営み、豊かな農地を守るため禹が伝えてきたこと 今の私たちに語り掛けているように思えました。
・・吃了山西省 大盤鶏 麻辣・ラー油と花椒で煮込んだジャガイモと鶏肉 食べ終わると茹でた麺を入れてくれた 痺れて忘れられない味になりました(笑)