大いなる城壁の上から 大空に舞う鳥がみえた・・ここは陝西省大荔県 黄河の向こうに見えるのは山西省 中条山である
実り豊かな大地 黄河のほとり国家が威信にかけた大農業改革が行われていました。 暴れ龍として反乱を繰り返した 黄河の水利事業で被害は減りました。貧困から早く豊かになろう 収入も上がり働く意欲が 笑顔に出ている ちなみに黄色い花は金針菜、滋養豊かな漢方食材 この地域のものは品質もよく高級品 高値で世界に輸出される夏は西瓜 トウモロコシ、秋には麦畑の収穫で稼ぐ
その穀物を保管する倉庫 貯蔵の技術は時代を遡る天下第一豊倉 朝邑鎮南寨子村 1877年にこの地を襲った大干ばつ、餓死者が多発する惨状に心痛めた清朝の理財課家・閻敬銘が1882年に四年かけ建設 貯蔵技術の高さで長きにわたり地元住民の食糧を守ってきた。もともと穀物の貯蔵は隋唐時代から盛んにおこなわれていた。洛陽から長安 唐代では地下式穀倉の運営が成立している。
集積所 一定の湿温度で穀物の状態を管理し安定した供給がされ、農民を飢えさせなかった。だが ・・日中戦争で この場所は一転した・・
朝邑蜂起 陝西省は毛沢東率いる抗日の聖地である。山西省の日本軍に対しゲリラ戦を繰り広げた 所謂中条山戦役(1941年5月~6月 山西省南部の日本軍と中国軍の戦闘・日本側の呼び名は中原会戦)この村からも多くの農民が八路軍に参加した。
そして習近平の父・陝西省出身の習仲勲も 抗日戦線の指揮に携わった。早期の17路軍は後に楊虎城が指揮を取る、この地の名・西北軍とも呼ばれた。西安事件 張学良 延安で指揮を執る毛沢東 周恩来 前線の彭徳懐など 八路軍の里・陝西省は中国近代史の縮図である。
唐代 明代の遺跡 大地は限りなく美しい・・・兵家必争之地 高台は黄河を見渡せる 戦略的にも必ず取ろうとする要地だった
緩やかに流れる黄河を自力で渡り・・むこうに見える戦場・ 中条山へ・・あの時の八路軍のうたが聴こえてきた・・ ※日本軍の足跡へ毛沢東からマリリンモンローまで いつの時代も
西北の人たちは温和な大きな心で迎えてくれる あ!何君のご両親!