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上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

黄河決壊事件 花園口現場へ

河南省鄭州から北へ17公里 開封から高速で一時間半 

鄭州市花園口鎮の花園口村へ 人口1868人 黄河に面した小さな村で
日中戦争のとき もっとも悲惨な出来事が起こった

黄河決壊事件 (中国側では花園口決堤事件と呼ぶ)
1938年6月 蒋介石率いる国民党軍が日本軍の進撃を食い止める目的で 
中国の古代戦争史から用いられた以水代兵(水攻めで兵を溺れさす)を
遂行し黄河堤防を爆破し決壊させた だが濁流に飲み込まれたのは
農地や農民で 結果は日本軍には最小被害しか与えられなかった

決壊場所 地図上、黄河が濁流となり広範囲に平原に流れ込んだのが
想像できます。100万人以上が犠牲となり田畑を流された難民の餓死者が
それ以上を上回りました。(統計数は諸説あり)百度地図より引用

濁流氾濫は河南 安徽省 江蘇省にまで広がり甚大な被害となる。
開封に駐留していた日本軍は防波堤補修 人命援助を行いました。

爆破現場には 大きな穴が数箇所残り水溜りとなっています。
黄河の流れは大きく変わりました。 遥か遠くに見えます。

鄭州黄河大橋 枯渇した黄河で橋が大きく見えます。・・だれですか?

彼は風水地理師だそうで大地の気を静め 平和を念じているそうです。
この場所で日本人に会うなんて 相遇是縁と言われ喜ばれていました。

奥様が開封の人で 先祖代々黄河に翻弄されてきた、その妻のために
この場所に来たそうです。災害、人災 戦災、暴れ龍といわれた黄河
鎮めるのは 彼のような妻想いな愛深き人なのかもしれませんね。

黄河が流失した跡 地面から何もかも根こそぎ奪い流されたそうです。

後には黄河堤防破壊の後遺症として 大干ばつが襲いました。

1942年から続いた所謂河南大飢饉で 空前の被害 犠牲者がでました

二爺廟 村々に苦労した先祖を祭る廟があります。そして後ろに見えるは

草木も生えないといわれた 花園口鎮のまちです。
          見事な再生を成し遂げていました。