秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

はじまりは金城大戯院 

永安公司 1918年旧上海の四大デパート 向かいの塔があるビルは
1932年に東館として建築に着手 歴史を語る南京東路のシンボルです。

南京東路 パフォーマンスと芸術が集まる街でもあります
似顔絵 すごく上手!そっくり〜有名画家になるかもしれませんね

昔も今も 夢を演じる魔都として 大小の劇場が乱立しています

上海ドリーム 成功するも貴女の努力しだい 運しだいなのです

中国の運命と共に 歩んだ劇場があります

金城大戯院 1934年開業の映画館 北京東路780号
1957年 周恩来総理の案で黄浦劇場という名に変更されました。

数奇な歴史がこの劇場につまっている・・2階に展示があり
名場面が紹介されている 銀幕で一斉を風靡した女優

阮玲玉 1934年に公開された「香雪梅」「神女」など迫力の演技が
大評判になり中国史上もっとも著名な大女優に 大作29作に主演 
成功した彼女は嫉妬の対象になり 大きなスキャンダルに見舞われ
人の言葉は恐ろしいと遺書を残し睡眠薬自殺をしている

風雲児女 1935年に封切り 主題歌・義勇軍行進曲が広く歌われ 
後の新生・中華人民共和国の国歌となる。はじまりは金城大戯院

起来! 起来! 起来! 人民の怒り 叫びがこの歌に込められています

1937年に「馬路天使」を上演 主題歌の天涯歌女が空前の大ヒット
作詞者は義勇軍行進曲と同じく田漢です。彼は日本留学経験や
思想など日本文化に依拠していることなどが批判の対象となり、
後の文化大革命で逮捕投獄され獄中死した。没後名誉回復
※また義勇軍行進曲の作曲者・聶耳は
23歳という若さで日本の神奈川県藤沢の海岸で溺死 
その彼らの曲が国歌としていまに歌われる なんと皮肉な運命・・

劇場は 戦争中には難民収容所となり 多くの人が身を寄せた
1949年 人民解放軍が上海に入り解放 金城大戯院に毛沢東
肖像画が掲げられ歓喜に沸いた のちに淮劇の専門劇場となる

・・波乱を生き抜いた劇場 ここから国歌がうまれた・・

麗都大戯院 1935年に改装開業した越劇の専門劇場だった
越劇とは中国の伝統演劇・戯曲の一つ。発祥地にちなんで紹興劇 とも
貴州路239号・金城大戯院の交差点斜め前 今は商業施設に

大来劇場 1938年開業の越劇場 貴州路263号ファミマもありました。

新光大戯院 1930年開業 映画兼劇場 1931年3月レコード式トーキ映画
(発声映画)が始めて上映 同年7月にはフィルム式トーキ映画を放映

1936年2月 京劇スター・梅蘭芳が 新婚旅行で来訪していた
チャップリンと一緒に 上映中の京劇・法門寺を観ました。

あ、今放映中はロングランヒット 話題のアクション映画だ!

親子連れがおもむろに携帯をかざし支払い これで入場OK!
 さすが上海 進んでいる〜ジャッキーチェンの演技、楽しんでね!