秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

提籃橋を極める

地下鉄12号線に乗って提籃橋 旧・ユダヤ人街へ

上海ノアの箱舟 虹口の記憶 戦時中 多くのユダヤ難民が辿り着いた

リトルウィーン といわれた無国籍難民限定地区
戦時中 迫害から逃れたユダヤ人2万人が暮らしたゲットー 一帯を

ユネスコ世界記憶遺産 の登録を目指しています 

上海獶太ユダヤ難民紀念館 長陽路62号
1927年 大戦中 摩西会堂は独系ユダヤ人の会合に使われました。

ダビデの星が掲げられ記録映画や 当時の写真 地図など

世界各国から 来訪者が訪れます。

オランダから祖父母の住んでいた場所を探していた家族がいました。

大西洋珈琲館 当時のカフェを再現、建物は解体されましたが看板を残し

記念館内の珈琲館に掲げられていました。もちろん珈琲も飲めます!
※あの時 大西洋珈琲館があった場所は上の写真 提籃橋駅一番出口です。

師匠の4travelに ありし日の建物の写真が載っています

マイケル・ブルーメンソール故居  
ドイツから逃げ少年時代の4年半暮らした 一九四七年に上海を去り米国へ
のちカーター大統領時代の財務長官になった。今は民間アパート
部屋の天井が高く 装飾の彫物は当時のままだそうです。

百老匯大戯院 霍山路57号 1930年開業 オデオン劇場の系列

屋上のレストランは当時の憩いの場。のち影劇院 劇団公演など行われ
二階席は857席あった その場所はマニアックなゲーム場に

遠東反戦大会旧址 1933年 世界反対帝国主義戦争委員会が
極東会議を行い宋慶齢が大会主席に選出された 

霍山公園 園からみる当時の街並み ノスタルジックな雰囲気 

記念碑が建てられている  霍山路102号

極めよう!提籃橋・・・この路 いつもの私の散歩道なんです。
世界遺産になるかも~楽しみですね!
 
※実際にはユダヤ人ゲットーとはいえ ユダヤ人の他に中国人10万人、
日本人とインド人が各数千人が居住していたそうです。

命のビザ 日本と中国のシンドラー
命を懸けてユダヤ人にビザを出し続けたふたりのシンドラー
リトアニアの外交官杉原千畝氏 ウィーンの外交官だった何鳳山氏 

何氏のビザ発行の経緯 パネルに杉原氏のことが書かれていました。

ふたりの勇気があったからこそ 上海にユダヤ人街ができたのですね!