秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

中国製ミグ15 大上海計画

復旦大学にあるミグ15 朝鮮戦争やベトナムで使われたものか 改造した中国製ミグ15が 中国で生産されていた。 上海を代表する復旦大学 上海市楊浦区邯鄲路220号 校門前のみち 邯鄲路は五角場と大柏樹を直線で繋ぐ 日中戦争では 両軍の夢がここに凝縮していた…

五条ヶ辻 消えた日本人街

当時は上海特別市中心区 通称五条ヶ辻と呼ばれた 今の五角場 北東部屈指の商業地 地下鉄10号線が通る 国民党政府の大上海計画で進展 一帯は日中戦争で廃墟になったが 日本の手により開発が進められ 日本人街ができた 山本拙郎 1940年から1941年 五条ヶ辻と呼…

豫園 福祐路清真寺と老街

豫園 上海の一大観光地 豫とは愉という意味で明代の楽しい庭 豫園の新春民俗灯篭会が夜を彩ります 福祐路清真寺 1870年 当時 城内北門に住む南京籍の イスラム教徒が地元の信者と一緒に創建した よく来たね・・以前 顔見知りになったおじいちゃんが案内して…

上海にある新疆ウイグル自治区

絲綢之路飯店 上海柏陽君亭酒店 1990年 上海で最初のイスラムホテル 新疆 寧夏回族自治区などイスラム信徒の利用が多い 楊浦区曲陽路777号 ホテル内レストランの肉類は新疆から取り寄せ 清真料理を提供している ここには新疆ウイグル自治区事務所があり 一大…

引き揚げ船を待つ間 海倫路 

海倫路駅 地下鉄4,10号線 周辺は開発が進む 街がすっぽりと消えた端で 時代が残る天水路(当時は天同路) 虹口新救主堂があった場所 戦火で喪失した後に建つ日本家屋が現存 周辺に中日教会もあり 当時は基督通りとも言われたそうです。 昔と変わらぬ下町風景…

焼け跡に 上海第八国民学校

これは アサヒグラフ 昭和12年(1937年)10月の記事 閘北 商務印書館 東方図書館一帯 が戦火に包まれた 商務印書館廠は 戦後 周辺にバラックが立ち並び いまは 民間の小区になっている 現・宝山路450号一帯 商務印書館廠とは 1897年上海で創設した近代中国最…

貧民街から和平公園へ 想去日本!

歴史ガイドマップ・和平公園編に載っている香煙橋(烟) クリーク沿いは 老木を残し一変した。 ・・虹口新天地の予定地 臨平路から和平公園へ歩きます・・ 旧・日本人体育協会運動場跡にできた大型マンション郡 瑞虹新城(新天地クループ) 虹鎮の老街に聳え…

虹口新天地 

日本人が多く住んでいた虹口・ホンキュウ いまは私の散歩道 四川北路橋から 蘇州河沿いの再開発が始まりました。 新亜大酒店 1934年開業 現在は3星ホテルで一階の飲茶は美味しく有名 天鎮路 すぐそこまで 開発が迫っている 天宝路一帯 和平公園に繋がるみち …

淞滬鉄路天通庵駅から陸戦隊本部へ

前回に続き 上海事変激戦のみち 天通庵路をあるく 淞戸クリーク天通庵橋 西横浜路の水路沿いには 日中合弁で創設した宝山玻璃工場があり 日系のガラス工場が 続々と進出したが 一帯は第一次上海事変の戦場となり廃墟になった 戦前 ここに 古刹天通庵寺があり…

激戦地の今 横浜橋から天通庵へ

四川北路に架かる横浜橋から 上海事変の激戦地へ 橋の名は 日本の地名とは無関係です。 海軍陸戦隊の戦いの出発点でもあり 橋から見える東宝興路駅 淞滬鉄路が後に地下鉄三号線 線路を挟み一進一退の戦闘を繰り広げた クリークの先に 二度の事変で激戦地とな…